村上正邦の不惜身命その156

 ● 国民の祝日「体育の日」を「スポーツの日」に変えようと蠢く「スポーツ議連」(麻生太郎会長)に猛省を求める


 ありがとうございます。

 今年の「体育の日」十月十日は久しぶりに天気に恵まれました。秋天の下、家族そろって心地よい汗を流した人も多かったのではないでしょうか。

 国民の祝日である「体育の日」は、昭和三十九年十月十日にアジアで初めて開催された東京五輪の開会式を記念して制定されました。この「体育の日」は平成十二年から、十月十日に固定せず、三連休を作るために「十月の第二月曜日」となりました。しかし、東京五輪を知る私のような者には、やはり「体育の日」は十月十日でないとしっくりこない気がします。

 ところで、国民の間にしっかりと定着した「体育の日」を、壊そうという不届きな動きが出ているのを、皆さんはご存じでしょうか。
 麻生太郎副総理兼財務大臣が会長を務めている超党派の「スポーツ議員連盟」がその元凶です。「体育の日」という素晴らしい名称を弊履の如く捨て去り、「スポーツの日」にしたいのだそうです。

 スポーツ議連の資料にこうあります。
 「スポーツの持つ包括的な意義を実感・実践するとともに、オリンピック・パラリンピックムーブメントを推進するため、『体育の日』を『スポーツの日』とすることについて検討を行っている」

 東京五輪に関しては、その巨額の建設費をめぐって問題が噴出していますが、私は、二〇二〇年の東京五輪・パラリンピックが是非とも成功するようにと、心から祈っています。
 しかし、「体育の日」の名称を捨て去ることが、どうして東京五輪・パラリンピックの機運を高めることになるのか、まったく理解できません。
 しかも、スポーツ議連は「オリンピック・パラリンピックムーブメント」などと、カタカナ言葉を恥ずかしげもなく使っています。

 「体育の日」のどこがいけないというのでしょうか! 
 カタカナ語にすれば何でもよくなるとでもいうのでしょうか。
 明治初期や敗戦直後のように、「舶来」を後生大事にしていた時代ではないのです。西洋かぶれなど、いい加減にしろと申し上げたい。

 そもそも国民の祝日に関する法律第二条において、「体育の日」は、「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」とあります。
 単にスポーツをするだけではない。スポーツに親しむことで、健康な心身を培うというところに、国民のための祝日の主眼があるのです。

 「体育」とは、そもそも身体運動を通して行われる教育のことです。古くはアテネ、スパルタ、ローマなど古代社会において行われていた人間教育の基礎的方法でした。一方、「スポーツ」とは、ラテン語を語源にしているとのことで、「気晴らしをする」「遊ぶ」「楽しむ」という語感があるそうです。つまり、一言でいってしまえば、「気晴らしのための遊び」ということなのです。教育という大切な観点がすっぽりと抜けているのがスポーツなのです。

 「スポーツの日」になったら、「体育の日」の健全な意味合いが薄れ、悪しき商業主義、金儲け主義に毒されたスポーツ興業がはびこる日になってしまう恐れがありはしないか。それを私は懸念するのです。

 スポーツ議連には、「体育の日」は教育色が強いからいけないなどという意見もあるそうですが、教育の色彩があってどこがいけないのか。「教育」は、人間にとって最も大切なことではありませんか。

 麻生太郎さんに申し上げたい。
 あなたは元首相として、また副総理兼財務大臣の重任にある政治家としての自覚と見識が欠如しているのではないですか。もっと国家・国民の将来を見据えて、職責を全うして戴きたいと思うのです。

 四年後には東京五輪・パラリンピックが開催されます。
 東京都の小池百合子知事は、野放図に経費が膨れ上がった競技場建設費の見直しを進めようとしています。都民や国民に過度の負担をさせたくないからだそうです。

 麻生さん! スポーツ議連を率いているのなら、どうして小池知事のこの動きを支援しないのですか。

 東京五輪の開会式は、抜けるような青空でした。まさに天皇晴れでした。昭和天皇の開会宣言を、私ははっきりと覚えています。その開会式を記念して、東京五輪の感動、感激を後世の子孫に伝えようと、当時の先輩たちが「体育の日」を制定してくれたのです。 
 それをいとも安易に、しかもカタカナ外来語の「スポーツの日」に変えようというのは、浅はかもいいところです。愚の骨頂ではありませんか。

 いま政治家が真摯に向き合わねばならぬ最大の問題は、二か月前に天皇陛下が提起された皇室の在り方です。
 去る八月八日に自ら、テレビを通じ、全国民に向けて、将来の譲位を強くにじませるお気持ちを示されました。私はこのお言葉をお聞きし、これは「陛下の心と魂の叫びだ」と、胸の張り裂けるような思いを禁じ得ませんでした。

 二千数百年に亘って継承されてきた天皇国日本の将来をこそ、政治家が考えるべき最大の問題だと、私は考えるのです。

 麻生さん! 些末な問題に貴重な時間を浪費することを止めて、日本国、そして日本国民の将来に思いを馳せて、天皇陛下の提起された重大問題にこそ、全力を尽すべきではないのですか。

 敢えて、諫言を申し上げる所以です。
 麻生さん、予算委員会の時の態度は何とかならないでしょうか。

 合掌

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