村上正邦の不惜身命その145

 ありがとうございます

 ここ数日の間、爽やかな五月晴れが続きました。
 目に鮮やかな新緑は、素晴らしい生命力の象徴です。この季節が訪れると、生命の素晴らしさ、力強さ、そして、生かされていることの喜びをしみじみと感じます。

 先月14日に起きた震度7の熊本地震は大きな被害をもたらしました。
 その後も引き続いて起きる地震で、熊本地方の被害は甚大なものに及び、いまも1万人を超す被災者の方々が避難生活を余儀なくされています。心からお見舞いを申し上げます。

 政府をはじめ関係自治体、公共機関は復旧・復興に全力を尽くしていただきたい。同時に、今も続く地震への万全な対策を講じていただきたい。

 先月14日に発災してから既に1ヶ月余が経ちましたが、余震が続く中、復旧作業はなかなか進まないようです。車中泊が続き、エコノミック症候群で死亡する方々が後を絶ちません。政府与党はもちろん、野党各党も選挙区事情などはかなぐり捨てて、与野党を超越して災害対策に取り組み、1万人余の被災者のために全力を尽くして欲しいものです。

 さて、本日は、高齢を迎えられた天皇、皇后両陛下の公務について述べたいと思います。

 去る9日、宮内庁は天皇、皇后両陛下の公務について、皇居であいさつを受ける「拝謁」など一部を取りやめると発表しました。
 両陛下ともに80歳を超えたことから「ご年齢にふさわしいご公務のあり方」を検討した結果であり、両陛下の了承も得られたとのことです。

 少し古い資料ですが、東日本大震災の前年である平成22年に両陛下が皇居で面会したのは約270件、地方などへの訪問も75回を数えます。
 天皇陛下が74歳の時(平成20年)の1年間の公務を、昭和天皇の同年齢時と比べると、外国賓客や駐日大使との会見などは120件で1.6倍(昭和天皇は75件)。赴任する大使や帰国した大使との面会などは92人で4.6倍(同20人)。都内や地方の訪問は80回で2.3倍(同35回)。
 東日本大震が発生した平成23年には、8都県で被災者をお見舞されたほか、被災地関係者や専門家らから33回にわたり説明をお受けになっています。

 天皇陛下の公務について、こう書きながら、5年前の東日本大震災が福島・宮城・岩手に大きな被害をもたらした時のことを想い起します。被災直後の3月16日、天皇陛下は次のようなお言葉を述べられました。
  
 「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かちあっていくことが大切であろうと思います。被災した人々が希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人ひとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復航の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」

 そして被災から1カ月後、天皇、皇后両陛下は早くも被災地に行幸なされ、津波で九死に一生を得た被災者をお励ましになられました。避難所になっている公民館を訪ねられた両陛下は、正座をされながら、一人ひとりを見舞われました。

 車椅子の男性に対して見上げるようにして、お言葉をかけておられました。お言葉を賜った被災者は「本当によく来てくださいました。余震が続き不安だったのですが、元気がでました」と感激していました。
 この様子をテレビで拝見した時、私は思わず目頭が熱くなりました。天皇皇后両陛下は常に日本国と日本国民を思い、日常を過ごされているのだとしみじみ感じさせられたからです。

 こうして、天皇陛下の公務について考えるとき、82歳というご年齢や、現在も前立腺ガンの治療を続けておられることを考えれば、減らすことは已むを得ないことと思います。

 皆さんは、皇居勤労奉仕をご存知でしょうか。

 71年前、日本の主要都市が空襲を受け、瓦礫と化しましたが、昭和20年5月の空襲で宮殿が消失しました。同年12月に宮城県内の成年団有志が決死の思いで、GHQに勤労奉仕を申し出て、これが認められました。皇居の勤労奉仕はこれが始まりで、清掃や除草などの作業を行い、今日も続いています。天皇、皇后両陛下は勤労奉仕を終えた方々に、「ごくろうさまでした」「ありがとうございます」とご会釈されます。
 勤労奉仕に来られた方々のなかには涙を流しておられるかたもおり、次回の皇居勤労奉仕に行くことを指折り数えて楽しみにしております。

 こうして敗戦以来、皇室と「国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」(昭和21年1月1日「国運振興の詔書」所謂人間宣言)ているのだと思います。

 ご高齢で、きっと体力も衰えておられることは百も承知の上で、天皇、皇后両陛下には、こうした国民の皇室を敬愛し、尊敬する熱い思いを是非とも受け止めていただき、できるだけ国民の方々との接触の場を持っていただきたいと思うのです。

 問題は宮中祭祀です。

 宮中祭祀は日本国憲法や法律で明文の規定はありません。皇室祭祀令に基づいて行われています。

 主な宮中祭祀を挙げれば、1月1日の四方拝、歳旦祭に始まり、春分の日の春季皇霊祭、春季神殿祭、4月3日の神武天皇祭、皇霊殿御神楽、7月30日の明治天皇例祭、秋分の日の秋季皇霊祭、秋季神殿祭、10月17日の神嘗祭、11月23日の新嘗祭、12月中旬の賢所御神楽、12月23日天長祭、12月25日の大正天皇祭、12月31日の節折、大祓など30回を超える祭祀があります。
 この他、毎月1、11、21日の旬祭など、天皇陛下にとって御在位中は文字通り休む暇のない宮中祭祀があるのです。

 この中で、四方拝は歴代天皇にだけ許される祭祀で、これまで誰も目にしたことのない秘儀だと言われています。元日の未明、天皇陛下は伊勢神宮をはじめ四方の神々を遥拝されて、新たな年の平安をお祈りされます。日本国の安寧と平安を祈るという、とりわけ大切な祭祀です。この四方拝は飛鳥時代に始まり、平安時代に祭祀として定着し、以来連綿と歴代天皇が続けてこられました。新嘗祭と並ぶ宮中最大の祭祀です。

 こうした宮中祭祀にご熱心に取り組まれたのは、昭和天皇でした。

 しかし、その昭和天皇もご高齢になり、入江相政侍従長の進言で、昭和40年代に宮中祭祀を簡素化することになりました。そのことは『入江相政日記』に記されています。

 昭和45年11月25日、三島由紀夫が市谷台で自刃するという出来事がありました。三島由紀夫は「などてすめろぎは人間となりたまいし」と、人間天皇を呪詛していましたが、この三島自刃を機に、昭和天皇はさらにご熱心に宮中祭祀に取組まれ、昭和61年まで新嘗祭の親祭を続けられたとお聞きしています。

 今上陛下、皇后も宮中祭祀にはとてもご熱心で、服喪中や病気を除くほとんどの宮中祭祀に、代拝を立てず、御自らご出席しておられるとお聞きしています。
 祭祀に関しては、事前に潔斎され、平安装束を着用されますが、長時間の正座が必要であり、昭和天皇は祭祀が近づくと、長時間正座することを心がけていたということです。今上天皇も新嘗祭の時節が近づくと、昭和天皇と同様に正座の練習をされているとお聞きしています。

 先述の公務はこの宮中祭祀に比べると言わば余事であって、ご高齢を押してでも無理になさるべき重要なものではありません。天皇陛下の本来のお仕事は、祭祀に始まり、祭祀に尽きると言っても過言ではないと、私は思います。

 鎌倉時代初期に順徳天皇が残された『禁秘御抄』には、「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。旦暮敬神の叡慮懈怠無し」と書かれています。

 歴代天皇の最重要な役割は、先ず神事を行い、その後にはじめて他の行事を行ってこられました。朝に夕に神々を敬い、神々のご加護を受け、国家と国民の安寧と平安を守っていただけるようにすることが、天皇の役割であり、この役割は天皇にしかできないことだと、私は考えるのです。

 天皇陛下の公務を縮小するに当たっては、順徳天皇が残された『禁秘御抄』に書いてある通り、「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす」の原則を貫いていただきたいと、私は考えます。
                                             
 感謝合掌

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